|
二人の行方も心配だが、そろそろイコたちの腹が鳴る頃ではないかと思うと、気が気ではない。佐々木雪には、この辺りでお引取り願うのが無難なところ。行きがかり上、ユクトと美由紀を待とうという雰囲気ができあがってしまい、内心、舌打ちせずにはいられなかった。
バスケットの蓋は閉じたまま、コトリとも音がしない。姉妹そろって、眠ってしまったのだろうか。イコの寝息とか「希」のイビキとか、せめて気配くらい感じられそうなのに。まるで最初から何も入っていなかったように、静まり返っているのが、かえって不気味である。
会話が途切れて、宵闇とともに沈黙が下りた。電気スタンドの灯りばかりが、ぽつんとともる部屋で、ぼくたちは百物語でも始めたように、身を寄せ合っていた。
顔を上げると、眼鏡の奥から、雪がぼくをじーっと見つめていた。とり憑かれた直後の夏野と、どこか似た眼差しで。
「今日の午前中、一時間だけ講義に出たんです。ところがいつまで待っても先生は来ないし、休講の知らせが入ったのが、授業が終わる二十分前。その間に飛び交った無駄話の中で、おかしな噂を耳にしたんですよ」
「噂を?」
「はい。少なくとも十人は口を揃えました。昨夜、クールガールがテレビから抜け出したと」
冷たい手で背筋を撫でられたような感触を打ち消すために、ぼくはわざと茶々を入れた。
「某SADAKOさんみたいにですか」 「あんなにはっきり、ぬらりひょんと出てくるわけではありません。もちろん危害も加えません。深夜番組の途中で、OMEのいつものCMが流れたかと思えば、突然ノイズまみれになり、例えば手首から先が画面から飛び出して、指をくねくね動かしたとか。あるいは、顔半分が浮き出て、上目づかいでぎろりと睨みつけたとか……最近、3D眼鏡で鑑賞する映画が流行っているじゃないですか。あんな感じだったそうです」
「ま、まあ、何かと人騒がせなOMEのことですから。深夜枠を利用して、肉眼で見られる3D映像の実験でもやっているんじゃないでしょうか」
「そういう意見も出ましたね。ただ、実際に目撃した学生のほとんどが、バグだと考えたようです。そのうち三人が、クールガールのものと思われる声を耳にしています」
「それは、どんな?」
「合成音でありながら、唸るような搾り出すような……それは不気味な声だったそうですよ。聞き取った言葉の内容は、三人とも途切れ途切れでしたが、繋げるとこうなります」
昨夜、テレビが破裂する寸前、クールガールが発した声が、ぼくの脳内で生々しく再生された。佐々木雪の唇の動きと、完璧にシンクロしながら。
「ワタシ、ズット待ッテイルノヨ。イツニナッタラ、コッチニ来テクレルノ? オ兄サマ」
けたたましく鳴り始めた音楽に、ぼくは飛び上がりかけた。
曲はクラフトワークの『コンピューター・ラヴ』。見れば、彼女の携帯が鳴っているわけで、こんな曲を着信音に選ぶなんて、マニアックなのにも程がある。電話に出ようとしが彼女は、目をまるくしてぼくに告げた。
「牧村さんからです」
そう聞いたとたん、なぜか安堵よりも胸騒ぎが先行した。電話に向かって佐々木雪がしきりに相槌をうつのは、相手が一方的に喋るからだろう。間もなく、電話機はぼくに手わたされた。代わってくれと言っているらしい。耳に押し当てたとき、雪の体温が感じられた。心臓が高鳴っていた。
「もしもし」
「横街さん……」
よほど電波の入りが悪いのか、ようやく聞きとれる程度の声。いつもの元気な大声を聞き慣れているため、機械のせいとはいえ、ひどく心配になった。
「おい、だいじょうぶなのか? 今どこにいるんだ?」
「『黒猫館』の二階。猫の右目のほうです。わたしはそこに監禁されています」
「監禁だって!?」
思わず叫んでしまい、おもむろに雪と目が合った。眼鏡の奥で、大きく瞬きするのがわかった。
「ああ、あの、肩こりに効く……って、それはキンカンだ!」
と、苦しいセルフ突込みでごまかしつつ、声をひそめた。
「いったい、どうなっているんだ?」
「ふん縛られてひん剥かれた上にカツ丼も食べさせてくれないというステキな状態ですよ」
「少なくとも、電話でボケをかます余裕はあるんだな」
「はい。ここからシリアスモードに入りますから。真面目な顔で聞いてくださいね」
|